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梅田尚=梅さん
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岩手生まれの仙台育ち。高校生の時に親父が農家やるために山元町に移住。26歳の時に仕事のため再度仙台住まい。いつでも帰れる実家が有ることが当たり前だったのに…通学に使った山下駅…ジャンプを買った商店…お菓子を買ったセブンイレブン…散歩した道…いつもの風景が壊れたのを見て自分の「今」やることを決めました。是非力を貸して下さい。
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2013年07月13日

山元の未来への種まき会議

7月7日日曜日 山元町にて「山元の未来への種まき会議」というミーティングが行われました。

山元町に関わる個人や企業、NPOや団体など関わる人達を集めてみる!という試み。やってみたかったけどやらなかった!やった人偉い!ありがとうございました。

山元の未来への種まき会議


特にこの会議を元に新しいことをやる事はしばらくないでしょう。しかし、「山元町」というキーワードで関わる人が「私達は○○ができる」 「○○を思っている」と発しあうのはとても有意義だったです。


これまで、このブログを書き込んできた理由として、社会の中で「山元町」という言葉に触れる機会があまりに少なく、東日本大震災後の復旧・再構築・復興の大きな障害に成るという考え方(危機感)から始めました。

そういった経緯から考えると、これだけの団体や個人が「山元町」という共通のキーワードを元に声を発しているというのは、発する内容・数・それを受け取る人数に差は有れど、2011年のあの悲惨な頃から比べれば・・・

ああ・・・少しは良い方に変わってきたんだな・・・と脱力にも似た安堵感を感じました・・・いやいや・・・好かった


2011年の夏に見た真っ暗な山元町と明かりの灯り始めた亘理町の境界線、山元町側はマダマダ暗いですが、点々と明かりが見えます。街頭も信号も立ちました。

仮設住宅の入居数も大きくは減っていません。住民間の意見の相違もマダマダあります。町側と住民、山元町と他町、被災した度合いによる差と弊害、被災した県と他県など埋まらない差や弊害を解決する材料は「想い」であり、その想いを集める切っ掛けは「情報」であるという考え方は今も変わっていません。


しかしながら、その想いや情報を発する声がいつの間にか多く、大きく成っていたことを感じる空間に立てたのは、とてもとてもとても感慨深い時間となりました。


ああ好かった^^脱力・・・


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Posted by 梅田尚=梅さん at 19:27│Comments(0)山元町で見て聴いた情報
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