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梅田尚=梅さん
梅田尚=梅さん
岩手生まれの仙台育ち。高校生の時に親父が農家やるために山元町に移住。26歳の時に仕事のため再度仙台住まい。いつでも帰れる実家が有ることが当たり前だったのに…通学に使った山下駅…ジャンプを買った商店…お菓子を買ったセブンイレブン…散歩した道…いつもの風景が壊れたのを見て自分の「今」やることを決めました。是非力を貸して下さい。
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2012年10月29日

新地町・相馬市・南相馬市

約半年ぶりになりますが、福島県新地町、相馬市松川浦周辺、南相馬市に行ってまいりました。今回は何か活動することなく、海岸通りを走って見て行くのみです。



新地町のgooglemap

http://goo.gl/maps/B3yaL


松川浦のgooglemap

http://goo.gl/maps/6h1xv


相馬市・南相馬市周辺のgooglemap

http://goo.gl/maps/yrvC3



山元町沿岸部と同じく・・・被災家屋や建物の撤去が進み、荒涼とした景色が残る状態。しかし、松川浦では何とか産業を戻そうとの動きも多く町の様子が少々活発な印象を受けました。



大好きだったバイクのツーリングルートだった松川浦の海沿いルート・・・今はその痕跡だけ残る・・・





この地にはどういった再建活動、再建政策が取られているのか?私は未だこの地域の実情の知識が薄く分かりません。しかしし、私の10代~20代の思い出は福島、宮城県県南の海の景色から始まります。その風景の今を少しでも変えていく手伝いをすること・・・。残り半年で震災から2年を迎えます。未だ途中です。また気持ちを改めました。  

Posted by 梅田尚=梅さん at 12:30Comments(0)その他活動情報

2012年10月28日

10月27日28日活動報告








平成24年10月27日と28日の山元町での活動報告です。10月27日は、翌28日に開催される危機管理合同研修会の開催前の準備を手伝ってきました。


活動内容は、会場となるJR山下駅前の広場。ここに、会場本部となるテント、当日の支援物資配布のためのテントを張ること、来場者用のベンチの設置、当日に配布されるトン汁の具材をご町内の皆さんと一緒に下ごしらえすることです。





写真はトン汁用具材の下ごしらえ風景












こちらはテント設営






そして・・・28日当日の様子・・・





天候が悪い状況にも関わらず多くの来場をいただき賑やかな様子です。





お寺災害ボランティアセンター=テラセンでは他の支援団体のお手伝いを実施(私は設営お手伝いのみ)。衣料の配布を行いました。写真は打ち合わせの様子。








今回の合同研修のもう一個の目玉自衛隊の災害派遣車両の展示


こちらは高機動車・・・運転席と助手席の他に8人程度乗車できる











もう一台。荷台コンテナ内には災害時のレスキューに使用する各機動工具が色々・・・















今回気づいたこと・・・去年の同じ時期にも、山下駅前で催事をやりその準備をしておりました。その時と比べ、設営中に随分と沢山の通りがかりの人達に話かけられました。去年はし~んとした環境でやっていたので大分変わってきたと思います。わたしだけでも2時間少々で5~6人の方に話しかけられたでしょうか?少しだけ、駅周辺に生活感が出てきたなと感じる出来事でした。



28日は坂元で12月に開催されるイベントの下見、更に隣町である福島県新地町、相馬市、南相馬市の様子を見にいきました。こちらは別の日にアップします。  

Posted by 梅田尚=梅さん at 20:32Comments(0)ボランティア活動情報

2012年10月21日

山下第二小学校 解体前写真

平成24年10月19日山下第二小学校のお別れ会が行われまして、約300人が参加したとのこと


取り壊し時期は10月末との話も一部報道であります (ただし未確認)


取り壊しまでに校舎を見ることが出来ない方も数多く居ることもあり、また、私の実家の畑も小学校の正門前に有り自身にとっても思い出の中の風景の一つでもあり、そういった思い出の記録として本ブログを書きたいとおもいます。

*撮影については山元町役場へ連絡・・・あくまで自己責任の範囲でという回答


この撮影の目的は「記録」です。小学生にとって学校の思い出の多くは日常です。よって、できるだけ日常に見ただろう風景を撮影したつもりです。


本ブログに出てくる校内の時計は全て一定の時間で止まっています。撮影時に一番に気づき時の止まった空間を感じたことが印象的できでした。地震発生が14時46分 津波襲来時間が15時50分 という記録にて止まった時間とも差があります。原因は不明です。 



参考ホームページ


山下第二小学校のHP


山下第二小学校周辺の地図 googlemap
http://goo.gl/maps/eotbU


津波到達域など山元町の津波に関する地図





山下第二小学校 取り壊し前の記録写真(平成24年10月撮影)




1.正門と正門周辺


正門







正門から校舎正面をのぞむ






正門側から体育館






体育館側から校舎側をみる





体育館と校舎との渡り廊下








石碑や像は保存の方向で動いているとのこと







こちら記念碑は平成23年1月に卒業生から寄贈されたもの






















平成24年の3月にスコップ団が本校の片づけを実施。

その後この花壇に花がずっと綺麗な状態になっている。どなたがしていただいのでしょうか?








2.玄関と1階



こちらは玄関











おそらく平成24年度の卒業生のもの






1階から校庭を見る










中央は吹き抜けのエントランスになっている
















学校の全ての時計は全て同じ時刻で止まっている







2階に上がる階段には英語が・・・(one two three・・・)







吹き抜けの中央部から2階をのぞむ







1階の校長室や職員室

























3.2階周辺



2階から1階をのぞむ






2階の中央階段から周囲の写真


 




ここは2階海側の突き当たりの写真




学童保育の部屋?


 




こちらの黒板はお別れ会前の写真にて平成23年3月11日のと平成24年の卒業生の書き込みが一緒になってます。

日付は津波襲来時のまま


 










こちらも上写真と同様で津波襲来時のものと24年卒業生のものが一緒に・・・いや卒業生のが多いような・・・元気な卒業生のようで(笑)


 



こちらは1年生の教室 入学してから2年になるまではこれを貼っていたのでしょうか?あと少しでこれを剥がす時期になるはずだったんだな・・・






授業中のままの黒板が残る (生きろ I hope~は震災後に書かれたと思われる)





2階の教室1年と2年の合同教室?





アユビーバックと書かれてます(笑)多分、子供達が書いたのでしょう。聴いたまんま書いたんでしょうね。I'll be back と言いたいんだろうね・・・多分






2階図書室





図書室付近の階段






4. 玄関から正門まで (小学生が下校時に見た感じと想像して撮影しました)



玄関










 




玄関を背中に正門を見る この正面右側は実家の畑でした。






5.正門から海側の小道~校庭へ







倒れているのは学校の正門から離れた所にある別の入り口にある門の跡










学校海側の小道 左側は小学校の畑にしていた








小道から学校を見る






小道から校庭への入り口






左手に畑、右は海や公民館へ進む道あたり

ここ周辺の地図・・・
http://goo.gl/maps/M6JyY


 







この撮影場所の裏には笠野・砂浜という地区が在り住宅地だった。もはやその姿は無い









この通りを真っ直ぐ進むと左手にLowsonが在った

ローソン山元町笠野店
http://goo.gl/maps/nWDdE







6.校庭・プール・体育館など周辺施設


海側入り口から校舎をのぞむ










山下第二小学校校庭の名物の滑り台






ちょうど小学1年生くらいの目線の高さで正面を撮影  朝礼の時は多分このまん前に先生が立ってたんじゃなかろうか?


 





掲揚塔






これも同じく1年生くらいの高さで撮影


 




プール フェンスが波の方向に倒れている











更衣室付近





プール正面


 




この建物は何に使われているか不明・・・児童館か?プールの並びに在りました


 








体育館 入り口にはネットが貼ってあり中に入れないようにしてあった


 







校舎から体育館への廊下






校舎を背中に校庭を撮影






校庭を出る前に改めて校舎を撮影








本撮影はお別れ会のあった平成24年10月19日以前に撮影しました。お別れ会後とはいくつか異なる部分が有るかもしれません(特に黒板の書き込みなど)




最後に、山下第二小学校は多くの卒業生を輩出した学校であり、震災後多くの人がこの校舎を見ていきました。しかし、取り壊し・お別れ会の報はあまりにも知られておらず取り壊し前の姿を見た人達が何人に成ったか定かではありません。


本ブログの冒頭にも書きましたが、こういった「見ることができなかった」人達と、自己にとっても思い出の風景になるものであり、記録という意味でこの撮影を行いました。


面白みと言う点ではあまりシンボリックなものばかりを撮影した訳ではありませんので面白みに欠け、長たらしいものになったかもしれません。


しかしながら、普通とか日常が学校の普段の姿であり、思い出の多くはやはり日常なのです。そういったことを想像しながらこの撮影をしました。


  続きを読む

Posted by 梅田尚=梅さん at 19:21Comments(0)山下第二小学校 記録

2012年10月14日

山下第二小学校お別れ会

平成24年10月19日


山下第二小学校の校舎とのお別れ会を実施するとのこと


以下は山元町の地元災害FM「りんごらじお」のtwitter版での情報は下記の通りです。


10月19日(金)山下第二小学校の校舎お別れ会が行われます
山下第二小学校は、東日本大震災で被災し、今回解体が決まりました。この小学校は、昭和62年から大勢の児童の教育の場となり、思い出の多い校舎に感謝してお別れを行うことになりました。お別れ会には、3年生以上の児童の参加を予定していますが、一般の方のご参加も呼びかけています。駐車場は校庭で、職員の誘導にしたがってください。なお、雨の際は校舎内で行います。
■日時: 10月19日(金)午後2時からおよそ30分
■会場: 山下第二小学校中庭




お別れ会当日に間に合わなくても、最後に山下第二小学校の校舎を一目みたい卒業生・OB・学校関係者も多いはずです。是非この件の周知にご協力ください。

お別れ会の情報についてはあまり周知されておらず、相当数の人数が知らない状態にあります。




ご注意いただきたい点

お別れ会後、直ちに取壊しになるかは不明です (平成24年10月14日現在)

校舎内は基本的に立入り禁止になっています (平成24年10月14日現在)

ただし、周辺道路については通常通り通行可能です。





山下第二小学校の周辺写真 平成24年10月13日撮影


校舎正面




校舎校門




  

Posted by 梅田尚=梅さん at 12:10Comments(0)山下第二小学校 記録

2012年10月12日

被害の前を知らないと伝わらないこと




上の写真をご覧下さい。ここはJR坂元駅です。


坂元駅とその周辺は東日本大震災の被害を受け、今は町の痕跡が僅かに残る荒涼とした風景に変わってしまいました。


しかし、初めて坂元駅に訪れる人にとって、その荒涼とした風景が坂元駅なんです。以前を知っている地元の我々とは捉え方が違ってしょうがないんです。


だから、


必要なのはそこに以前町が有った事を知らせた上で今を見てもらうことです。


この写真は同地点に立ち、同方向を向いてもらいgoogle未来への記憶で震災前のストリートビューを見てもらい、原風景と見比べてもらいました。


これだけ、後は状況だけを伝えるだけ、それだけで十分にこれを見た人には伝わるし何かを得ていきます。


今を伝えるために過去も伝える・・・



山元町の主要地点について、震災前と2012年の今の比較写真のアップを始めました。googleドキュメントを共有設定しております。
https://docs.google.com/presentation/d/1Iav2Hr8RTK25U-Hwx78HhL23RpAHUKxOuYiEpUcWVfc/edit  

Posted by 梅田尚=梅さん at 23:25Comments(0)その他活動情報

2012年10月07日

被災地域視察会in山元町と10月7日活動報告

2012年10月6日

この日は九州大学ビジネススクールの皆さんを仙台→県道10号経由で仙台空港→山元町の視察のガイドをしてまいりました。





この企画は本年6月にもやっておりまして、これで3回目です。遠くに居ると、または意識が近くないと、被災地という括りで全体を見てしまい勝ちで結果として何も見えて来ない。この視察会の特徴は同じ日に、各被災自治体を一気に見ること。


すると、自治体毎、地域毎に「今」が異なることが解ります。これは参加する方にも、自分にとっても有意義な企画です。

*前回の視察会の様子・・・
http://fightmiyagi.da-te.jp/e499263.html



先ず行ったのは仙台新港付近。


常々主張している「仙台も被災地であり、被害度合いは周囲と変わらない」ということを知っていただきました。


仙台駅周辺の都会的な町並み、更にアウトレットパークなど何とか復旧し賑やかさを取り戻した地の直ぐ近くに荒涼とした地域が広がる現実。ここは仙台の住民にも是非定期的に見ていただく存じます。


次に行ったのは仙台空港。海の間近にあり、津波の被害も甚大どころではない被害を被り、しかし、僅か1ヶ月で復旧し運行を開始した空港。


空港1階にある被災当時のパネル展示を見てもらい、今とのギャップとその凄さを感じていただきました。


仙台東道路 仙台空港ICを経由して山元町へ。この東道路から見える光景もまた震災を語る上で外せません。



山元町着後、イチゴ農園、きく邑へ・・・それぞれの被災から現在に至るまでの経緯を話しました。


*イチゴ農園は前回のブログでご紹介した所へ・・・
http://fightmiyagi.da-te.jp/e517343.html


*きく邑のご紹介は3月のブログにて・・・
http://fightmiyagi.da-te.jp/e481716.html


それから、わたしの活動ベースであるテラセンへ、今回は普門寺内に掲示してある沢山の写真を交えてテラセンがここに必要だった背景を話しました。


次は坂元駅へ・・・





これも震災を語り継ぐ上で絶対必要な、震災前と今の比較。ipadをお持ちで同地点に立って見て見比べをしてもらいました。この地を知らない人達に「本当にここに町が在った!」ことをはっきりと解る手段です。ipadをお持ちの皆さん是非やってくだい!


磯浜と磯浜→新地間の寸断された道路を見て、更にここで最も必要な「知ってもらうこと」をお話し、視察会を終了しました。みなさんありがとう!!



次の日、10月7日は


先ず午前中は○I○Iのイベント坂元でやるべく、会場予定の坂元支所で打ち合わせ。この件はまた別に書きたいと思います。


午後からは1ヶ月ぶりにテラセン活動へ・・・




こちらは自宅畑の片付け手伝い・・・


↓↓こちらは作業前




↓↓作業後





家の片付けで出た床板を利用したプランター作りをしていました。ちょっとだけニス塗りのお手伝い。






写真は無いですが。JR山下駅の敷地の花壇にお花の種を植えてきました!春が楽しみ!!


で、テラセンに帰ってきたら国際ボランティア学生協会=IVUSAの派遣隊が・・・凄いな皆。おじちゃんの俺も負けてらんね


↓↓IVUSAのHP
http://ivusa.main.jp/



こちらは町の皆さんとお寺でついでいただいた餅食すの写真






いろいろと変化に富んだ楽しみの多い2日間でした^^v  


いつもの活動も大事にしながら、町の「今」を話ていくことも続けて行きます。また、○I○Iは後日改めて!!  

Posted by 梅田尚=梅さん at 22:59Comments(0)ボランティア活動情報