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梅田尚=梅さん
梅田尚=梅さん
岩手生まれの仙台育ち。高校生の時に親父が農家やるために山元町に移住。26歳の時に仕事のため再度仙台住まい。いつでも帰れる実家が有ることが当たり前だったのに…通学に使った山下駅…ジャンプを買った商店…お菓子を買ったセブンイレブン…散歩した道…いつもの風景が壊れたのを見て自分の「今」やることを決めました。是非力を貸して下さい。
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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2015年10月23日

変わっていく風景…山下駅前、磯浜漁港、新地町県境付近

平成27年10月12日

山元町内の写真を撮って来ました。


下の写真は山元町山下駅跡から




非常に残念ながら、この風景は間もなく見納めとなりそうです。

避難道路の工事のため、道路が拡張されます。工事対象となる土地が多く工事が終れば全く異なった風景になるでしょう。


次は磯浜漁港










漁船が増えてきてます。更に管理事務所等も増えてきました。

防潮堤建設も大分進みました。デカすぎて圧迫感があります。



最後に宮城県山元町と福島県新地町を沿岸側で結ぶ県道の写真





東日本大震災の津波で道路と周辺の町を削り取ったような風景でした。県境はずっと分断されたままでしたが……土が盛られてつながりましたね。

今まで写真に在る冊から下は崖のようになっていました。


震災以後4年6ヶ月

壊れ、裂かれ、無くなってきた物事が作り直されようとしています。

物資的に4年6ヶ月以上かかっています。人と気持ちが戻るのは未だ先になりそうです。
  

Posted by 梅田尚=梅さん at 11:05Comments(0)被災地記録写真

2015年05月31日

福島県南相馬市 メディアとイメージ、実際のギャップ

写真は福島県南相馬の道の駅、道の駅前を通る国道6号線








場所はこちら

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92975-0033+%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E5%8D%97%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E5%B8%82%E5%8E%9F%E7%94%BA%E5%8C%BA%E9%AB%98%E8%A6%8B%E7%94%BA%EF%BC%92%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%93%EF%BC%90%E2%88%92%EF%BC%91+%E9%81%93%E3%81%AE%E9%A7%85%E5%8D%97%E7%9B%B8%E9%A6%AC/@37.633983,140.9871776,15z/data=!4m2!3m1!1s0x602096705521db3f:0x19dd089859cacd86


道の駅のホームページ

http://www.nomaoinosato.co.jp


写真の撮影日は2015年5月22日

町は非常に賑やかです。UNIQLO、すき家等のお馴染みのチェーン店が並び、休憩した道の駅の駐車場には小学生達が親の迎えを待っている様子。

以前ここに来たのは2013年の5月。その時と比べて格段に町らしく成っていました。復興工事特需が牽引していることは間違い有りませんが、地元の再生力を感じました。



さて、ここで意見です。

空間放射線量が高いのは当然承知の上ですが、既にここには日常が有ります。SNS、マスメディア上でも度々福島県を始め東北の放射線について危険を警告する内容を見掛けます。

多様な意見、データを元にした警告も述べることは自由です。有名な大学の先生も今の実情を憂いているようです。美味しんぼも新刊が出ているようです。

しかし、南相馬市の原町区では日常が有ります。

日々、ネットやメディアで得る情報やイメージの何と偏ったことか…ここに行ってみるとよく分かります。



原発推進、反対…放射線云々

これをできるだけ現場の近くで議論してみないか?

自分の住まいや故郷が毒物と同意語にされて気持ちが良いわけが無い。冷静ではいられない。この姿勢を現実逃避や無知、無関心と冷静に片付けられるでしょうか?

文字と数字と加工された情報、限られた空間だけを見て、大局や真実も何もあったもんじゃない。

ここに在る日常を知らない議論や決定は、ここに在る日常を過ごす人達に障害になりはしないでしょうか?

ここは仙台から高速で1時間少々です。

遠くでもなく、昔のことでもありません。

自分勝手なイメージを払拭するため、是非多くの方に来て頂きたい町です。  

Posted by 梅田尚=梅さん at 13:00Comments(0)その他活動情報被災地記録写真

2015年05月24日

山元町坂元駅解体の情報






平成27年5月22日現在の情報です。

山元町坂元駅ホームが解体されます。

写真は平成27年5月22日現在のものです。

当日は平日にて工事業者さんの足場組みや工事事務所プレハブの設置をしておりましたが、準備出来しだい解体作業に入ると思われます。

坂元駅の在る地区は山元町内でも特に大きい被害に遭った地域です。思いは様々でしょうが、それでもやはり解体される前に見ておきたい方も多いと思われます。特に山元町外に出た方には知っていただきたいです。

平日日中は坂元駅周囲はトラックや作業関係者の車両が多く危険かつ邪魔になります。土日等、比較的空いている日時に行く事をオススメ致します。

出来るだけ多くの山元町に縁の有る方々に知っていただきたく、本情報の周知、拡散を希望致します。ご協力よろしくお願いします。


山下駅、山下第二小学校解体がされる前も多くの方々が見にいらっしゃいました。本blogに在る山下駅、山下第二小学校解体前の写真を掲載しておりますが未だアクセスが多いブログです。

以下、平成27年5月22日現在の山元町坂元駅の写真



















  

Posted by 梅田尚=梅さん at 19:48Comments(0)被災地記録写真

2014年09月18日

磯浜漁港の今 平成26年9月の様子

平成26年9月14日に、秋に行うイベントの下見がてら、山元町磯の磯浜漁港に行ってきました。震災前は海水浴と釣りに行く定番の遊び場でした。


https://goo.gl/maps/jxaMy

磯浜漁港の地図 グーグルマップ


漁港に行くまでの道程の景色は大きな変化は無し・・・。と、思いきや、けっこうな変化がありました。長浜小学校の敷地にプレハブができていたり、所々の工事現場が終わっていたり、抉れていた道路の補修、橋の手すりが綺麗に交換されていたり、磯浜漁港の手前の自動車整備工場が復活していたり・・・等など


息子の子守も兼ねていたので息子にも海を見せたいなと思い、息子と二人で行きました。



さて、磯浜漁港の様子・・・










まず漁船が大分増えたことに気付きます。そして、遊びに来ている人(主に釣り)がとても増えました。2012年当初は漁船1隻のみ、辺りは静かだったことを考えると大きな変化です。








ずっと壊れたままの堤防も現在修復中。ニュースにも賛否が分かれる巨大堤防ですが・・・大分整備されてきました。







この写真は別の地区の堤防ですが震災前の頃の堤防と比べると今のは整備された道路みたいです。



海側の工事も段々と終盤に差し掛かり、また、海に向う道も直されてきました。海の景色は変わってしまいまたが、また、子供が積極的に遊べる海に戻れる日も近いかもしれません。





最後・・・息子、初めての砂浜の記念写真

  

Posted by 梅田尚=梅さん at 12:00Comments(0)被災地記録写真

2013年12月23日

写真 被災地を写真で残す 東松島市・矢本町・気仙沼市

本ブログRemakeYamamotoではその名前の通り、宮城県の南端山元町の震災以後の風景や情報を主にアップしております。

山元町が題材なのは私の実家が在る第二の故郷だからです。私は岩手県水沢市(現奥州市)で生まれ、仙台で育ち、17歳の時に山元町に移り住みました。思い出の風景の多くはこの3地点、水沢、仙台、山元ではありますが、子供の頃から父親に連れられて海釣りをよくしており、更にオートバイを買ってからはこれまた海沿いをよく走りました。

私にとっては子供の頃から現在に至るまで海辺の風景は日常と「思い出」がセットになっている風景です。ですから、活動内容は変わっては行くものの東日本大震災で一度は破壊されたモロモロの物事の再建、再生を見続けることは自身の日常や思い出の再建、再生とも繋がるのです。


今回の写真は2012年に撮影した東松島市にある野蒜駅周辺と矢本町航空自衛隊松島基地周辺の写真を2013年のものと見比べていただきます。

ブログ後半では解体する前日夜に撮影した気仙沼市に在った第十八共徳丸を掲載します。

こういった写真に何の意味が有るのか?情報発信の意味合いも震災後から段々と変わっているように思えます。ただ、言えることは被災地に住む人間がこうして生の情報を発信し続けなければ不理解、誤解の連鎖が続いていきます。テレビをはじめとするマスメディアとは異なる角度から被災地の今をご覧いただけると幸いです。



東松島市野蒜駅

県道27号線(奥松島線)に沿って位置するJR駅です。住宅地と漁業の作業スペースが交互に現れる風景でした。マラソン大会のコースにもなっておりドライブルートとしても良い所です。写真の地域は特に被害が大きく、復旧作業もかなり時間の掛かった地域です。震災直後にアメリカ軍によるトモダチ作戦で撮影された地域でもあるのでご存知の方も多いかもしれません。

しかし、その後はメディアに取り上げられる回数もかなり減ってしまいました。また、住民と行政側でJR復旧に関する意見が噛み合わなかったことも地域再建の遅れの一因になっております。震災以前は住宅地、海水浴場、ホテルや民宿、コンビにも並ぶ場所でした。


大きな地図で見る


2012年6月頃の写真





2013年10月頃の写真(マラソン大会出場時に撮影したのでランナーが写っております)









矢本町松島基地周辺

航空自衛隊松島の近くにある住宅地、当地域よりも西に10分も車を走らせれば大型ショッピングセンターも在り津波の来た所と来なかった所の差をハッキリと示してしまう地域です。父親に連れられ航空祭を良く見に行きました。


大きな地図で見る


2012年6月頃の写真 
2012年当時、未だ被災した住宅が残っておりました。有る程度の片づけをしている家もあれば全く手付かずの家も在りました。





2013年11月頃の写真
山元町の沿岸部と同じ荒涼としたまっさらな空間が広がっております。ただ、足元をよく見ると生活の痕跡・・・文房具やおもちゃ等家があった証拠がそこかしこに落ちてありました。











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第18共徳丸 気仙沼市

撮影は2013年9月です。ニュースで第18共徳丸の解体が決定し次の日に解体作業に入ると知り、前日夜に撮影してきました。地盤沈下した海と地面の境界が凄く近くで震災前の記憶があまり役に立ちませんでした。

周りを見渡せば震災の被害の爪あとが色濃く残るものの町明かりは周囲に散らばり、共徳丸の目の前にはコンビニエンスストアも再開してました。私も夕ご飯の買い物をしました。そして、店を出ると共徳丸・・・日常の普通の中に異質が在る被災地域特有の風景をたくさん見ましたが、共徳丸とコンビニ、更にその周囲にはバス停、信号機が在るこの周囲は特に異質な感じがしました。震災遺構として残すか?解体か?で意見が割れた時期もあったようですが、確かに共徳丸は日常を戻したいと願う地域からみれば異物だったのかもしれません。

共徳丸の写真や映像は新聞やテレビでも良く見かけましたが、その周囲については殆ど知られていませんでした。やはり、現場に居ないと本当の今は分かりません。









写真左の灯りは信号機



コンビニの駐車場から共徳丸を撮影。緑の灯りは信号機、白は街灯、写真中央奥に共徳丸のシルエット



車との対比



左に共徳丸、右奥に信号機、コンビニ



撮影後日、共徳丸の解体工事着手の新聞記事




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東日本大震災から次の3月で3年を迎えます。そして、次の3月11日まで残り3ヶ月強となりました。東北の太平洋沿岸は未だ殆ど「何も在りません」

もちろんそれは物理的に建物が無いという意味でもあります。しかし、もう一つ「生活の息吹」とか「気配」という撮影できない側面でも未だ「何も無い」地域が殆どです。今のところ撮影できないものが少しずつ再生、再建された地域は正しく「点在」というレベルです。

東日本大震災、その後の相次ぐ大型の自然災害についての再生はとても時間の掛かるものであると、現場に行くたびに認識を繰り返す次第です。

復興と言う言葉は飽きた、使わないでもいいとのご意見も在りますが、もう少し使わせて欲しいとお願いするところであります。この写真の通り、復旧ですら実現できなかったところばかりです。復旧、復興、再建、再生、再興などこういった言葉すら続かなくなると、本当にその地域は消滅していってしまうのという危機感を禁じ得ません。できるだけ多くの人達に災害が訪れた地といものを体験してもらいたいと切に願います。

復興の原資は、その地域を何とかしようと想いの総和です。そして、その想いの切っ掛けになるのは「今」を知ることです。これからも出来るだけ多くの原資を集めて行きたいと思います。  

Posted by 梅田尚=梅さん at 02:14Comments(0)被災地記録写真