2017年03月28日
常磐線復旧 山下駅
昨年の平成28年12月10日
常磐線の浜吉田~山下~坂元~新地~駒ヶ嶺~相馬が開通しました。
新しい駅を見に行くため家族で常磐線に乗ってきました。
降り立った途端に一気に涙が込み上げてしまい、不覚にも駅ホームで泣いてしまいました。
100%嬉し泣きという訳では無く嬉しい半分、色々半分の泣きです(T-T)
東日本大震災の大津波で破壊された常磐線の各路線の在り方について
2011年~12年までは内陸移転で路線新設か、現行路線の復旧かで町内の意見が真っ二つに分かれました。
東日本大震災で町の平野部の約半分を津波に襲われましたが、人命は元より家屋等の物理的な破壊、更に加えて集落や人間関係、人生まで悪影響を及ぼして行きました。
その当時に居た町の人々の葛藤や対立、長い間生活が戻らなかった町の半分側、夜になると生活の灯りが乏しく真っ暗になる町の半分側を見ていた時には、山元町と都市を繋ぐ鉄道の復旧に敢えて時間をかける意味など有るのか?と私個人としては疑問でした。
仙台~浜吉田駅までは今まで通り良く知っている風景でしたが、その後、山下駅に向かうにつれ段々と慣れない風景が車窓に映ると当時の色々な記憶が頭に浮かんできました。
山下駅に降り立ち見回すと駅前は随分と賑やかでした。新しい駅は正しく地域復興のシンボルに相応しい状況です。
それに隠れてしまっている新しい町の更に東側…つまり海側の…以前の山下~坂元~新地側には復興にはほど遠い環境が残っております。
どうか常磐線の路線再開と一緒に、この現状も合わせてご記憶頂き、この後の我らが故郷の再建を見守ってください。
山元町にお住まいの皆様、これから戻ろう、住もうという皆様、更に縁の有る皆様に今より更に良い!山元町に成るよう祈念申し上げます。
常磐線の浜吉田~山下~坂元~新地~駒ヶ嶺~相馬が開通しました。
新しい駅を見に行くため家族で常磐線に乗ってきました。
降り立った途端に一気に涙が込み上げてしまい、不覚にも駅ホームで泣いてしまいました。
100%嬉し泣きという訳では無く嬉しい半分、色々半分の泣きです(T-T)
東日本大震災の大津波で破壊された常磐線の各路線の在り方について
2011年~12年までは内陸移転で路線新設か、現行路線の復旧かで町内の意見が真っ二つに分かれました。
東日本大震災で町の平野部の約半分を津波に襲われましたが、人命は元より家屋等の物理的な破壊、更に加えて集落や人間関係、人生まで悪影響を及ぼして行きました。
その当時に居た町の人々の葛藤や対立、長い間生活が戻らなかった町の半分側、夜になると生活の灯りが乏しく真っ暗になる町の半分側を見ていた時には、山元町と都市を繋ぐ鉄道の復旧に敢えて時間をかける意味など有るのか?と私個人としては疑問でした。
仙台~浜吉田駅までは今まで通り良く知っている風景でしたが、その後、山下駅に向かうにつれ段々と慣れない風景が車窓に映ると当時の色々な記憶が頭に浮かんできました。
山下駅に降り立ち見回すと駅前は随分と賑やかでした。新しい駅は正しく地域復興のシンボルに相応しい状況です。
それに隠れてしまっている新しい町の更に東側…つまり海側の…以前の山下~坂元~新地側には復興にはほど遠い環境が残っております。
どうか常磐線の路線再開と一緒に、この現状も合わせてご記憶頂き、この後の我らが故郷の再建を見守ってください。
山元町にお住まいの皆様、これから戻ろう、住もうという皆様、更に縁の有る皆様に今より更に良い!山元町に成るよう祈念申し上げます。
2017年03月27日
りんごラジオ閉局
りんごラジオ閉局
平成29年3月31日
災害臨時放送局りんごラジオが閉局致します。
震災真っ只中、壊れた町役場の一階の片隅で開局したりんごラジオ。
最終日の午後からは局を解放し出来るだけ多くの方に来て欲しいとのこと。
金曜日の午後にてお仕事の方も多いと思いますが、是非ともお越しください。
Google Map
https://goo.gl/maps/CtZrz3ecyGv
ホームページ
りんごラジオ
https://goo.gl/maps/CtZrz3ecyGv
平成29年3月31日
災害臨時放送局りんごラジオが閉局致します。
震災真っ只中、壊れた町役場の一階の片隅で開局したりんごラジオ。
最終日の午後からは局を解放し出来るだけ多くの方に来て欲しいとのこと。
金曜日の午後にてお仕事の方も多いと思いますが、是非ともお越しください。
Google Map
https://goo.gl/maps/CtZrz3ecyGv
ホームページ
りんごラジオ
https://goo.gl/maps/CtZrz3ecyGv
タグ :りんごラジオ閉局
2017年03月27日
変わりゆく風景 磯浜漁協・りんごラジオ・新地町との県境
写真は平成29年3月11日の撮影です。
山元町 磯浜漁港の様子。
県道から漁港に入ろうすると・・・知っている風景と違います。入口に壁があります。
非常に高い防潮堤です。海が見えません。また、昔の風景を知っている者が以前の感覚で近くに行くと、そこが磯浜漁港だと分からずに通り過ごしてしまいそうです。
こちらは昨年2016年中のもので、防潮堤の内側(湾内側から撮影)
山元町と福島県新地町を結ぶ県道38号線
震災の津波で完全に道路が分断されしばらく道路ができる様子はありませんでしたが・・・道路が繋がりそうです。
りんごラジオ
非常に残念ながら平成29年3月31日をもって閉局とのことです
山元町 磯浜漁港の様子。
県道から漁港に入ろうすると・・・知っている風景と違います。入口に壁があります。
非常に高い防潮堤です。海が見えません。また、昔の風景を知っている者が以前の感覚で近くに行くと、そこが磯浜漁港だと分からずに通り過ごしてしまいそうです。
こちらは昨年2016年中のもので、防潮堤の内側(湾内側から撮影)
山元町と福島県新地町を結ぶ県道38号線
震災の津波で完全に道路が分断されしばらく道路ができる様子はありませんでしたが・・・道路が繋がりそうです。
りんごラジオ
非常に残念ながら平成29年3月31日をもって閉局とのことです
2017年03月26日
3月26日 山元町親子ふれあいマラソン】
山元町「つばめの杜中央公園」にて開催されました。
小学生中心のマラソン大会でした。とてもほのぼのした大会です(^^)
小学生中心のマラソン大会でした。とてもほのぼのした大会です(^^)
Posted by 梅田尚=梅さん at
20:41
│Comments(0)
2017年03月26日
平成29年3月11日山元町の様子
約1年ぶりの非常に久しぶりの投稿になりました。
ここ1年で一番の大きな出来事といえば平成28年12月に再開した常磐線山下駅・坂元駅〜相馬間の鉄道の復活ではないでしょうか?
この常磐線再開後初めての3月11日となりました。
毎年、この日は仕事もお休みを頂き山元町に行き、先ずはお弔いをし町内にある普門寺の慰霊祭のお手伝い、更に町の様子を見に行くという感じで過ごしております。
山元町みんなの図書館の敷地内にて撮影。竹灯篭、手作りのお地蔵さんが添えられております。
元の山下駅の目の前の道路からまっすぐ数百メートルの間、竹灯篭を飾り、夕方になると灯りが灯ります。
今回、慰霊祭で使用した竹灯篭・灯篭・お地蔵さんは全て手作りのものです
東日本大震災以後、今年で6回目の3月11日です。年を追う毎に当時の記憶と思いが変わっている自分を感じます。また、周囲のと言いますか世の雰囲気も当然の事ながら変化している中で、今年は少々気になる点がありました。
「復興が中間地点に来ている」というようなニュアンスを含んだ言葉を国の長、自治体の長といったリーダー達が発しております。確かに「インフラや予算等の計画」や地点毎の正しく「点」についてはこのニュアンスが当てはまるのですが、残念ながら未だ多くの「面」相当の面積が荒廃した風景のまま残っております。
被災地という言葉を敢えて使わせていただくと、被災地で「日常」がある方、被災地の近くの方、やや遠い方、ほとんど被災地に触れる経験がない方などそれぞれの立ち位置によって東日本大震災以後の時間経過の感覚は大きく異なります。
私の両親は被災地で「日常」が有り、私は被災地の近くの人間です。震災前の風景や現在の両親達のあり方を見ていると「中間地点」に居るようには感じません。
*写真は平成29年3月11日山元町の県道38号線周辺の風景
何となくですが言葉による「終了」や「完結」がこの後の10年目辺りに言われるのが怖いなあと不安になるところです。
ここ1年で一番の大きな出来事といえば平成28年12月に再開した常磐線山下駅・坂元駅〜相馬間の鉄道の復活ではないでしょうか?
この常磐線再開後初めての3月11日となりました。
毎年、この日は仕事もお休みを頂き山元町に行き、先ずはお弔いをし町内にある普門寺の慰霊祭のお手伝い、更に町の様子を見に行くという感じで過ごしております。
山元町みんなの図書館の敷地内にて撮影。竹灯篭、手作りのお地蔵さんが添えられております。
元の山下駅の目の前の道路からまっすぐ数百メートルの間、竹灯篭を飾り、夕方になると灯りが灯ります。
今回、慰霊祭で使用した竹灯篭・灯篭・お地蔵さんは全て手作りのものです
東日本大震災以後、今年で6回目の3月11日です。年を追う毎に当時の記憶と思いが変わっている自分を感じます。また、周囲のと言いますか世の雰囲気も当然の事ながら変化している中で、今年は少々気になる点がありました。
「復興が中間地点に来ている」というようなニュアンスを含んだ言葉を国の長、自治体の長といったリーダー達が発しております。確かに「インフラや予算等の計画」や地点毎の正しく「点」についてはこのニュアンスが当てはまるのですが、残念ながら未だ多くの「面」相当の面積が荒廃した風景のまま残っております。
被災地という言葉を敢えて使わせていただくと、被災地で「日常」がある方、被災地の近くの方、やや遠い方、ほとんど被災地に触れる経験がない方などそれぞれの立ち位置によって東日本大震災以後の時間経過の感覚は大きく異なります。
私の両親は被災地で「日常」が有り、私は被災地の近くの人間です。震災前の風景や現在の両親達のあり方を見ていると「中間地点」に居るようには感じません。
*写真は平成29年3月11日山元町の県道38号線周辺の風景
何となくですが言葉による「終了」や「完結」がこの後の10年目辺りに言われるのが怖いなあと不安になるところです。