プロフィール
梅田尚=梅さん
梅田尚=梅さん
岩手生まれの仙台育ち。高校生の時に親父が農家やるために山元町に移住。26歳の時に仕事のため再度仙台住まい。いつでも帰れる実家が有ることが当たり前だったのに…通学に使った山下駅…ジャンプを買った商店…お菓子を買ったセブンイレブン…散歩した道…いつもの風景が壊れたのを見て自分の「今」やることを決めました。是非力を貸して下さい。
アクセスカウンタ
QRコード
QRCODE
インフォメーション
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 3人

スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  
Posted by だてBLOG運営事務局 at

2013年11月11日

去年に引き続き菜の花花壇を造ろう!




2013年11月2日

宮城県の南端に位置するおらが町山元町にて菜の花の花壇を整備してきました。整備して去年に引き続き菜の花の種を撒いてきました。



【なんで被災地域に花壇を造るのか?】

これは過去の企画をご覧いただくと趣旨が分かります。当然、花なんて役に立たないというお声もいただきますが、いいえ!役に立ちますと!ハッキリお答えしておきます。

取り壊しが進み、多くの住人も町の外に出ている現状。この結果、町の風景に空洞が出来てしまいました。この地域にもっと人の手が加わった生活感を・・・との思いから町に多くできた空き地に花壇を造ろうと考えました。

花壇の存在感は現場に居た者でないと理解できません。花壇を見ずとも山元町の海側の地区に行ってみてください。そこに有る造作物が何と目立つことか・・・


【2012年と2013年の比較】

基本的には花壇造りの目的は変わりませんが、時間が経ち、目的も少し増えてきました。それは「きっかけ」です。東日本大震災における災害ボランティアの役割も少しずつ変わり、特に2013年は被災家屋の復旧などのニーズは2年前と比較すれば相当数減ってきました。

そして、各被災地で同様の報告が有るとおり片付けと取り壊しが進んだ被災地では「何も無い」現象が起きております。本当に何も無い。家も商店も木も無い荒涼とした風景が広がりました。そういった風景に少しでも人の手が入った風景にするために始めたのが花壇つくりでした。

更に2013年になってから、そういった荒涼とした地域にも家が戻り始め、小さな歩みですが町が町らしくなってき始めました。もちろん、復興なんて言葉は使えるレベルではないことは言うまでもありませんが・・・。

花壇造りに加えたもう一つの目的

それは【町に来る切っ掛け作り】です。去年この花壇を造ったメンバーの多くが今年も参加してくれました。加えて今年は学生さんも加わってくれました。災害ボランティアニーズも減り、住居が戻ってきたとはいえ震災前のレベルには遠く及ばない住居数。しかし、町の風景の再生に必要な人の往来を創りだすには往来する切っ掛けが必要です。

こういった「恒例」の活動はささやかで微力ではありますが、少なくとも11月2日のあの地域だけは少しだけ賑やかな空気が有りました。確かにあそこは明るいスポットになっておりました。

最早、災害ボランティアという言葉では表現できない活動ですが、私がこの活動を続ける目的である「風景の再生」の一助にはなるかなと思います。



2012年11月の菜の花花壇造りの様子・・・。今年は去年参加メンバーの多くも駆けつけてくれました。
http://fightmiyagi.da-te.jp/d2012-11-05.html


2012年中に実施した花壇造りの様子…

1回目
http://fightmiyagi.da-te.jp/e483133.html

2回目
http://fightmiyagi.da-te.jp/e486621.html

3回目
http://fightmiyagi.da-te.jp/e489701.html


2013年中の菜の花花壇の様子(他の記事も一部混ざっております)

http://fightmiyagi.da-te.jp/e559982.html

2013年6月に実施した菜の花花壇の整備の様子。この日に採取した種を今回まきました。

http://fightmiyagi.da-te.jp/e574374.html





さて・・・作業前の写真・・・花壇よ・・・ほおっておいてごめんな~(T_T)といいたくなる状態です。すまん








先ずは草刈から開始!










レイキとクワと手で地道にかき集め・・・





綺麗になりました!!




草を刈っていると、去年とは違う動物とたくさん出会いました。去年は甲虫(ハサミムシやゾウリムシが中心)が多かったのですが、それに加えてクモ・カエル・カタツムリが出てきました。2011年中には土を掘っても生物に殆ど出くわさなかったので生態系の形成が少しずつ出来てきたのかと思います。




さて、草を刈った後は耕運機で耕します。












大体この辺でお昼になりました。今回のお昼は畑近くの敷地で芋煮会をしました(^^)





今回の呼び掛けに応じてくれた東北学院大学災害ボランティアステーションのスタッフSさん。芋煮王子と命名しました(笑)




味付けは宮城風の味噌仕立てですが、〆をカレーウドンにしました




住居は戻りつつあるものの・・・マダマダ静かな山元町の住宅地に「ははは~」と笑い声がする・・・。早くこれが日常にしたい・・・。マダマダ頑張ろう・・・






午後の部開始後・・・すっかり畑っぽくなりました!





さて・・・そこに菜の花の種を撒きます。この種は、同じく東日本大震災で被災した岩手県大槌町で同じような想いから育てられた菜の花の種です。2012年にそれを撒き→山元町の被災地域で育ち→2013年に再度撒く








作業終了!畑をバックに記念写真!!(向って一番左がブログ作成者です)







菜の花が咲くのは4月後半~5月のゴールデンウイーク頃です。山元町の冬~春の特産であるイチゴのラスト、ホッキ飯の終盤と同時に春の野菜が美味しくなる冬と春が交差する美味しい時期です。

菜の花を見ながら美味しく幸をいただくことを楽しみに半年待ちましょう~


畑の看板・・・左が去年のもの、右が今年作ったものです。いずれも畑の敷地に在った廃材です。





この花壇のために、岩手県・宮城県・山形県・静岡県・東京都の人達が関わり、参加者の素性も様々です。小さなきっかけで宮城の南端にある小さな町で楽しさを体験してきました。そしてここにはまた訪れてくれるでしょう。小さくても、この地に想いがあれば人はまた集まります。こういった切っ掛けが被災した各地域に在るはずです。もう一度行ってみましょう。皆さんの訪れをかの地は待っています。それが、復興と言う形に繋がります。





地図・・・山元町や周辺地域の観光、被災地の情報をグーグルマップにて公開しております。畑の名前は「為せば成る園」です。



より大きな地図で 山元町 ルートマップ を表示

  

Posted by 梅田尚=梅さん at 00:39Comments(0)