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梅田尚=梅さん
梅田尚=梅さん
岩手生まれの仙台育ち。高校生の時に親父が農家やるために山元町に移住。26歳の時に仕事のため再度仙台住まい。いつでも帰れる実家が有ることが当たり前だったのに…通学に使った山下駅…ジャンプを買った商店…お菓子を買ったセブンイレブン…散歩した道…いつもの風景が壊れたのを見て自分の「今」やることを決めました。是非力を貸して下さい。
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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2015年08月31日

山元町 うしのやの件

東日本大震災後、亘理町から山元町へお店を移転した「うしのや」


毎月数件ずつ、このブログでも検索キーワードに登場します。
*ブログの機能でどの検索キーワードでRemakeYamamotoにアクセスしたかを見る事ができます。


私自身も味、ボリュームともに大好きなお店でした。一時期はほっき飯を食べるため月2回ペースで仙台から通う事も有りました。


残念ながら2015年現在、閉店となっております。


たくさんの方が調べている様子にてこのブログで閉店の件をお知らせさせていただきます。


以前のうしのやへ行った際のブログ

ほっき飯の紹介など
http://fightmiyagi.da-te.jp/e560402.html


亘理焼きそば、ロシア風ハンバーグの写真有り
http://fightmiyagi.da-te.jp/e574374.html

  

Posted by 梅田尚=梅さん at 21:41Comments(0)山元町で見て聴いた情報

2015年08月18日

山元町山下花釜区の盆踊り



2015年8月16日

震災から数えて四回目の花釜区盆踊り大会が開催されました。

今年は天気も気温も程よく、本当に恵まれた祭の日となりました。








祭会場を橋元商店側から




祭囃子は生演奏です!




消防団の支援!お疲れ様です。




祭会場から元駐輪場跡を望む



来年は何処の会場でできるのか?山下駅前でいつまでできるのか?

いつまでも、変わらない夏祭りで在って欲しいですね。  
Posted by 梅田尚=梅さん at 00:30Comments(0)山元町で見て聴いた情報

2015年08月13日

山元町 山下の盆踊り大会

東日本大震災直後の2011年には一度中止になり、その後、毎年開催となった花釜区の盆踊り大会が今年も開催されます。


日時:2015年8月16日(日)18時~21時まで

場所:JR山下駅前

google mapへ→ http://goo.gl/maps/eLQNb

出店やイベントの開催有り



非常に少しずつですが近隣に住民が戻って来たお陰で周知はスムーズになってきた感は有ります。

今年も盆踊り大会の周知にご協力お願いします。


2014年の様子
http://fightmiyagi.da-te.jp/e833478.html

2013年の様子
http://fightmiyagi.da-te.jp/e587736.html

2012年の様子
http://fightmiyagi.da-te.jp/e509706.html  

Posted by 梅田尚=梅さん at 19:19Comments(0)山元町で見て聴いた情報

2015年08月01日

災害公営住宅に引っ越し




だいぶアップが遅れましたが、平成27年1月20日、宮城県亘理郡山元町に在る私の実家が町内の災害公営住宅に引っ越ししました。

実家の被災、その後の仮設住宅暮らしをしてから3年半くらい・・・取り敢えず、梅田家の復旧が終わったなという感じです。

こちらは、仮設住宅の荷物運びだしの様子。そもそも、家財の殆どが支援品と震災後に購入した物のため運び出しは非常に速かったです。










これから出る仮設住宅の様子。引越し作業中に、通りがかりのお婆ちゃんの寂しげな目が忘れられません。







今も仮設住宅に住んでいる方の多くは高齢者です。各種メディアでも言われていますが、災害後のコミニティ維持・再生は至難の業です。その難しさを両親の仮設住宅に居るとまざまざと感じます。



【さて、場所を移動して新たな住居である災害公営住宅に到着】







片づけ中の様子







仮設住宅も復興公営住宅も特殊なもので、この公営住宅の立地も色々な事情が絡んで決まっております。

仮にニュースで梅田家が仮設から復興公営住宅に引っ越す様子が取り上げられれば、良かったこれで安泰。めでたしめでたしな編集をされて終了です。

しかし、実際は被災した人が被災地に住んでいる間は、常に住まいの件で選択や妥協、決定を続けなければなりません。そういった意味では仮設住宅よりは快適だけど未だ「仮住まい」からは脱却できていないとも言えます。

また、仮設住宅、公営住宅ともに元々生活インフラが無い所に住宅を作っているので、住みやすいか?と聞かれれば【今は】不便が多いですねと答えます。

また、ここは賃貸になります。数年先、買取か賃貸継続か?更に継続の場合は家賃の値上げか維持か?という選択が続きます。「仮住まい」は続くのです。



ここなのか?または別に安住の地を求めるか?それが決まった頃に実家の東日本大震災が落ち着くかなと思います。

このブログやFacebookはじめ様々な形で繋がる全国の皆さん。これからも東日本大震災の破壊から始まった小さな町やそこに住む人達の変化の様をどうか見守っていてください。

復興の原資は金ではなく、ましてや建築資材でもなく、前向きな想いの総和です。これがより多くあつまる場所に人や物が集まります。これからもよろしくお願いします。


-------仮設住宅と災害公営住宅の問題--------


仮設住宅開設当初は様々な年齢、家族構成で成り立っており、急ごしらえでは在りつつも町の様相が有りました。

しかし、数か月毎に生活力の有る層は仮設住宅を離れ、加えて元も町も離れて新たな住居を求めるという流れが続き・・・

仮設住宅と山元町の年齢層は非常に偏った構成になってしまいました。また、住民票ベースの人口よりも実際はもっと減少しているとも言われ、1万人とも9千人程度とも言われております。

災害公営住宅の整備遅れは現在(平成27年8月現在)でも進捗は遅いまま…。時間の遅れは、人口流出を加速させる一方です。防潮堤始めとする国内の大型建設・・・住宅の方に回せませんかね?

上述したように、被災して住まいが無くなるか大きな被害を受けてしまうと、ずーっと住宅の問題が付きまといます。


  

Posted by 梅田尚=梅さん at 21:38Comments(0)山元町で見て聴いた情報