2012年12月15日
11月の山元町中浜、山下第二小学校 相馬市松川浦
ここしばらく、12月23日と24日に山元町坂元で行われるイベントの企画について時間を割いているためあまりブログの更新をしておりませんでした。このイベントは地元の方招待制のものです。後日改めてイベントの様子をアップしたいと思います。
さて、イベントで時間を割いているとは言え、打ち合わせや諸々のことは山元町にて行っています。時間の合間にしばらく行っていない地域の写真を撮っておりました。そこで、変化の有った地域を少しご紹介します。
先ずは、山元町坂元の中浜地区に在る中浜小学校前の墓地の様子ががらりと変わっていました。
大まかな場所はこちら・・・google mapより
大きな地図で見る
こちらは以前のブログでご紹介した同地点・・・当時のブログはこちらから(2012年1月に山元町坂元の沿岸部の現状を紹介したブログです)
こちらの墓地は震災後、お寺の方針で墓地を移転するということでした。この様子だとそれが実現したのでしょうか?
お別れ会の後の山下第二小学校の様子を見に行きました。中浜小学校から南へ10分程度の場所に在ります。
大まかな場所はこちら・・・google mapより
大きな地図で見る
こちらは取壊し開始前に撮影したものをブログにアップしました。 ブログはこちらから・・・
2012年11月中~取り壊しが始まっております。現在も進行中です。
他の地域の様子・・・
福島県相馬市に在る観光名所である素晴らしい景観の「松川浦」の様子を見に行きました。
大きな地図で見る
ここは10月にも見に行っているのですが、民宿や旅館の立ち並ぶ地域の様子を改めて見に行きました。松川浦の宿街は元気に再開を始めています。とてもほっとする光景でした。
その一方で、賑わいの横には未だ震災が現在進行形の出来事であることを思い出させる地点もあります。この写真は営業中の宿から1~2分移動した先にあるものです。
そして、松川浦の名所となっていた「松川浦大橋」 別名「相馬ベイブリッジ」の現在の様子です。
こちらは遠目から
もう一つ、橋の袂の様子です。
以上が2012年11月頃の山元町沿岸部と福島県相馬市松川浦の様子でした。
皆さんへお願い
被災地と呼ばれる我らが地域は、いま、大切な資源が大変不足しています。それは「人」の「関心」です。
お金も資材も復興の道具でしかありません。一番の資源は「人」です。そして、「関心」の量が「人」の数を決めていきます。
2011年3月11日から今まで、東日本大震災は続いているのです。津波は去りました。しかし、未だ余震が続くようにあの出来事は続いているのです。確かにそこに在った街と生活は失くされたままです。
かの地は皆さんのお越しを待っています。何かをしようと思わず、ただ関心だけを持って我々の地を訪れてください。皆さんが訪れる程に関心は増えて少しずつ無くなった街に温かみが増えてきます。
さて、イベントで時間を割いているとは言え、打ち合わせや諸々のことは山元町にて行っています。時間の合間にしばらく行っていない地域の写真を撮っておりました。そこで、変化の有った地域を少しご紹介します。
先ずは、山元町坂元の中浜地区に在る中浜小学校前の墓地の様子ががらりと変わっていました。
大まかな場所はこちら・・・google mapより
大きな地図で見る
こちらは以前のブログでご紹介した同地点・・・当時のブログはこちらから(2012年1月に山元町坂元の沿岸部の現状を紹介したブログです)
こちらの墓地は震災後、お寺の方針で墓地を移転するということでした。この様子だとそれが実現したのでしょうか?
お別れ会の後の山下第二小学校の様子を見に行きました。中浜小学校から南へ10分程度の場所に在ります。
大まかな場所はこちら・・・google mapより
大きな地図で見る
こちらは取壊し開始前に撮影したものをブログにアップしました。 ブログはこちらから・・・
2012年11月中~取り壊しが始まっております。現在も進行中です。
他の地域の様子・・・
福島県相馬市に在る観光名所である素晴らしい景観の「松川浦」の様子を見に行きました。
大きな地図で見る
ここは10月にも見に行っているのですが、民宿や旅館の立ち並ぶ地域の様子を改めて見に行きました。松川浦の宿街は元気に再開を始めています。とてもほっとする光景でした。
その一方で、賑わいの横には未だ震災が現在進行形の出来事であることを思い出させる地点もあります。この写真は営業中の宿から1~2分移動した先にあるものです。
そして、松川浦の名所となっていた「松川浦大橋」 別名「相馬ベイブリッジ」の現在の様子です。
こちらは遠目から
もう一つ、橋の袂の様子です。
以上が2012年11月頃の山元町沿岸部と福島県相馬市松川浦の様子でした。
皆さんへお願い
被災地と呼ばれる我らが地域は、いま、大切な資源が大変不足しています。それは「人」の「関心」です。
お金も資材も復興の道具でしかありません。一番の資源は「人」です。そして、「関心」の量が「人」の数を決めていきます。
2011年3月11日から今まで、東日本大震災は続いているのです。津波は去りました。しかし、未だ余震が続くようにあの出来事は続いているのです。確かにそこに在った街と生活は失くされたままです。
かの地は皆さんのお越しを待っています。何かをしようと思わず、ただ関心だけを持って我々の地を訪れてください。皆さんが訪れる程に関心は増えて少しずつ無くなった街に温かみが増えてきます。
Posted by 梅田尚=梅さん at 23:48│Comments(0)
│山元町で見て聴いた情報
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。