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梅田尚=梅さん
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岩手生まれの仙台育ち。高校生の時に親父が農家やるために山元町に移住。26歳の時に仕事のため再度仙台住まい。いつでも帰れる実家が有ることが当たり前だったのに…通学に使った山下駅…ジャンプを買った商店…お菓子を買ったセブンイレブン…散歩した道…いつもの風景が壊れたのを見て自分の「今」やることを決めました。是非力を貸して下さい。
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2011年10月23日

空白地帯をつくらないために その2

昨日の話は「住む場所」の話しでした。


今回のは住むことを維持する為に大事な「職」の話です。


震災以前から山元町は人口も仕事も少ない町でした。主要産業が農業=特にイチゴの名産地で多くの方が農家を営んでいました。つまり仕事=自営業です。


大事なポイントは仕事の場=畑や田の多くが沿岸部付近に在る事つまり津波に襲われた所だということです。


昨日のブログでもご紹介した3の地域に家と畑の在る方は



家と職を同時に甚大な被害に遭っています。しかもこの場所は町の支援も最も受けにくい・受けられない場所です。


いま必要な事


「住める場」を広げる事。もう一つ、住む事を維持できる「職」を創る事です。


本来であれば今、この作業は同時に行われていなければなりません。震災から既に7ヶ月です。7ヶ月も職に就けなければ職を探して外部に出ていくのは当然です。


畑を再開しないのか?という言葉も出そうですが、家と畑を同時に復旧できる財力をもった人は果たして何人居るのか?


しかも場所によっては町が支援を出せない場所もあるのです。


夏以降に都市圏から多くの企業や資産家がここを訪れ作付できたイチゴや農産物を買い上げる、生産を支援するという言葉を残して来ましたが・・・


今もその言葉を行動に移している所は何社・何人いるんでしょうか?私の耳に入っている数はそんなに多く有りません。


山元町を空にしないために必要なもう一つのこと


職を創る事


その為に必要な人材:仕事を創れる、または仕事を維持できるビジネスマンです。


しかも、山元町にも根を下ろせる方。住めと言ってるわけでは有りません。しかし仙台はもちろん東京や大阪に居続けては


何も無く成ったこの地に仕事は創れません。


お待ちしています!ビジネスマン!現地は私がご案内します。仕事は私も手伝います。


下の写真は元実家の畑です。ここからまた始めましょう!


空白地帯をつくらないために その2


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Posted by 梅田尚=梅さん at 12:18│Comments(0)山元町で見て聴いた情報
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