日常との境界線 南相馬~双葉町と浪江町の境

梅田尚=梅さん

2013年05月11日 18:40

東日本大震災後、主に山元町を中心に地域の移り変わりを見てきました。山元町までは住まいの在る仙台市から通うため仙台、名取、岩沼、亘理も同じく見ては来ましたが、宮城県との県境を越えて福島県に入ることはこれまで数回しか有りませんでした。ゴールデンウイーク中、少し時間ができまして、今回国道6号線を使って南下できる所まで行ってきました。山元町の災害ボランティア現場に居て常々大事にしてきた「実際の現場に行く」ことの大事さを、この福島県で再認識させてもらいました。

今回のルートマップをGoogle mapにアップしております

より大きな地図で 国道6号線 日常との境界線 を表示




先ず立ち寄ったのが福島県新地町の新地駅




新地町の二駅手前で降りる私にとっては「寝過ごして慌てて降りる駅」でした。今は駅舎も無く駅構内の施設だった分電室とホームの跡が残るだけです。




こちらは分電室の中。沿岸近くの被災地でよく見かけた松の針葉樹(暴風林には松が使われていた)と海の砂が混じったものが堆積していました。











新地町から松川浦方向へ抜ける道路の様子。釣師浜海水浴場付近。











主要道路である国道6号線周辺は普段の町並みですが、海側に歩を進めると新地町の海側の再建はこれからの様子です。しかし、そこから更に南下し相馬市松川浦周辺は観光客で大賑わいでした。食事処はどこも並んで待つ状態。


その賑わいの少し離れた所で、かつてのドライブスポットだった松川浦大橋・・・別名相馬ベイブリッジの様子をみてきました。橋そのものは無事の様子ですが、その先の道路の被害が著しく橋は通行止めです。







こちらのURLは2012年の10月にこの松川浦大橋の先にある道路を見てきた際のブログです。


http://fightmiyagi.da-te.jp/e522093.html



松川浦ではお客さんが多く食事に有り付けず、国道6号線に戻り、相馬市から南相馬市に向ってまもなく・・・レトロなカフェレストランが・・・






周りのお客さんがドリアを頼んでいる人が多かったので同行していただいたKさんともドリアを注文。懐かしい・・・でも間違いの無い味でとても満足でした。







宮城でも福島でも、海から少し離れるとそこには日常があります。被災という非日常と、戻ってきた日常が近隣で混在する沿岸部特有の雰囲気がここでは特に強く感じました。



食事後、南相馬市内を更に南下・・・道路脇にはよく見知ったホームセンターやコンビニが並びます。子供の姿も有り自転車で遊んでいました。中学生?らしき姿も見えます。ホームセンターの大きな駐車場にはたくさんの車。そして、誰もが知っているセブンイレブンが先に見えてきました・・・





かつては、このセブンイレブンから南側は一般の立入りを制限されている地域でした。いまでもこのセブンイレブンから南に行くほど日常が薄れて行きます。



このあたりから町の様子の変化に気付きました。ドリアを美味しくいただいたお店から僅か30分くらいです。












この写真に見える看板は全て仙台や他の地域でも見ることができる「日常」の風景の一つです。でも、この地点で車を止めても・・・生活の音は聞こえません。看板下の店舗の様子に目を凝らせば入り口や窓が全て塞がれていることが分かります。






更に進めて双葉町に入っていくと主要道路の国道6号線を通過することは特に問題有りませんが、道路から分かれる小道には検問所が在り一般の立ち入りは出来ないようでした。



そして・・・現在の終点。双葉町と浪江町の境










検問所からUターンし、再び南相馬市へ双葉町と近い地域小高区へ入ってみました。





区の奥に入っていくと町並みは綺麗です。しかし、車通りは少ない・・・しかし・・・ボランティアセンターがありました。中に入って話を聴くと、この地域は夜に未だ入れない地域で、人の気が有るのは日中だけとのこと。ボランティアニーズはこの地区に住まいの在る皆さんからの住居片付け依頼や草刈です。


草刈?と・・・お思いの方


人通りが少ないこの地では泥棒が多くなるそうです。草が茂って視界が遮られると泥棒の誘発になるとのことで草刈は防犯上大事との事でした。そして、これをお話してくれたのは山元町内の企業で働いている人でした。





今回の6号線を南下してみて


改めて思い出してほしい。私を含め震災前までドライブやツーリングが好きだった皆さん。また、そういう趣味を持った友達や恋人を持った皆さん。南相馬市・双葉町・浪江町・飯舘村…ニュースだけで聞いていると遠い地域の事に思えるが、あそこは我々にとってドライブルートだったはずです。思い出してほしい。あそこは「近い」。近所とまでは言わないが「ちょっとひとっ走り」のレベルの近くだったはず。


無理にとは言わないが気になる人は昔を思い出して行ってみて欲しい。車やバイクなら普通に行ける。仙台から下道で車を南下させ、休憩・お昼ご飯を入れても3時間だ。山元町からなら2時間掛からない。


遠い地域に思え、日常ともかけ離れたと感じたその地域ではもう生活が始まっている。風景は記憶のままだ。私はGSF250バンディットで突っ走った思い出がドンドン出て来た。


「小高区役所」にも立ち寄って欲しい。町並は綺麗だが未だ人の気配は少ない。近くのボランティアセンターでは毎日災害ボランティアを受け付けている。


遠い出来事ではない、一昔とも言えない「最近近くで」の出来事の中で、そこにも「日常」が有り「生活」が有ることを自分の頭の中に入れておいてほしいのです。

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