スタート地点

梅田尚=梅さん

2011年11月27日 20:07

このだてブログにてRemake Yamamotoを開設したのは秋からです。このブログでご紹介してきたものも主に9月以後のものがほとんどでした。


この度、山元町の災害FMりんごラジオにて日々の活動について話す機会をいただきまして、改めて山元町での最初の活動=実家の片付けを、自分の記憶の整理の意味も含めて書いてみようと思います。


初めての山元町入りは3月18日です。当時は山元町に関する情報はほとんど無いに等しく役場に電話を掛けても繋がりません。道路状態はgoogleの情報で通行は出来そうなことだけは確認できました。


その日は避難所に居る両親と末の弟を迎えに、1こ下の弟と叔母とで共同で行ったのみでした。


その当時の役場は、半分は自衛隊や消防など救助や復旧に当たる方達の基地となり、もう半分が避難所兼役場といった感じでした。


この日の帰りに遠めで見た町の風景は・・・海辺と見間違うような濡れた土地でした。


本格的に山下駅付近の実家に入ったのは3月24日


内陸から真っ直ぐ山下駅・海側に伸びる道路を進むにつれて…元車・元家・元自動販売機…などあらゆる物が形を曲げて眼前に広がった風景を横に


普段なら車で5分で行ける実家を1K手前に車を駐車し、20分ほど徒歩で向かいました。



最初に見た光景…玄関




茶の間と台所




この光景を見て、私・弟・母のみ3人ではとても間に合わないと判断しました。よって24日のこの日は次回来るときに即作業に移れるように家財が散乱した家内に通路を作り足場を作っておきました。


帰りに町役場に寄ってみたら、次回お世話になるりんごラジオが開設された日でした。当時は町役場の一部をスタジオに当てていました。





写真は有りませんがこの間に弟達が数回片付けに入ります。



次の回

友人2名・私・弟・父・母の6名でのチャレンジです。災害ボランティアの回数を重ねた今になって振り返るとこの5~6人と言うのは作業を効率的に行うための最小単位になっていてます。

今思えば丁度よい人数だったんだと思います。非常に効率良く作業ができました。



片付けの様子1茶の間…写真手前では32型の買ったばかりの液晶テレビを撤去してます





片付けの様子2キッチン…一番難しい箇所でした。冷蔵庫をはじめとした大型の家電が多い場所です。





片付けの様子3運び出した家財…6人居ればたった1日でこれだけできます。ずっと見慣れたものがゴミになってしまった光景は複雑な気分でした。





片付け後の様子…一度作業をすると解りますが、片付け作業をするとテンションが上がってきます。友人のポーズは正にその表れ?(笑)





震災後初めて実家の2階に上がってみた光景




作業が終わりどうしてもうちの畑を確認したく海方向へ向かいました。その途中のJR山下駅付近の踏み切りの様子。ここは踏み切り・線路です





たどり着いた畑だった所…山下第二小学校付近です。本来ならビニールハウス10棟が建っている場所です。




震災後の初町内入りから約1ヶ月間の動きです。この後、家の中は家族のみで片付け終えました。その後5月からは山元町の災害ボランティアセンターを中心に活動してきます。

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