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梅田尚=梅さん
梅田尚=梅さん
岩手生まれの仙台育ち。高校生の時に親父が農家やるために山元町に移住。26歳の時に仕事のため再度仙台住まい。いつでも帰れる実家が有ることが当たり前だったのに…通学に使った山下駅…ジャンプを買った商店…お菓子を買ったセブンイレブン…散歩した道…いつもの風景が壊れたのを見て自分の「今」やることを決めました。是非力を貸して下さい。
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2017年11月10日

はらこ飯

山元町と亘理町のソールフード【はらこ飯】=鮭いくら丼作りました。

地元の作り方に沿って、いくらは湯を通し鮭の身を煮た煮汁でご飯を炊きます。

今年は鮭の漁獲量が少ないらしくイクラがメチャ高いです(T-T)











  
Posted by 梅田尚=梅さん at 07:32Comments(1)

2017年11月08日

【ふれあい産業祭】平成29年11月19日

今年のふれあい産業祭の会場はつばめの杜公園に変更だそうです。

http://www.town.yamamoto.miyagi.jp/site/kankou/7943.html

町外から来場する方は常磐線の利用の方がよさそうですね。山下駅から目の前ですので移動が楽です。

写真は去年の様子






  
Posted by 梅田尚=梅さん at 22:17Comments(0)

2017年08月06日

秋田県大雨災害のボランティア活動

毎年、東北各所で水害が起きておりますが大変遺憾ながら今年も秋田県にて大規模な豪雨災害が起きてしまいました。
平成29年7月28日。同年7月22日〜23日にかけて起きた大雨にて被害を受けた秋田県横田市にて災害ボランティアのお手伝いを実施。

何故か・・・知事のゴルフばかりが全国ニュースで取り上げられてしまい、被害については報じられない始末。

疑問ばかり残る報道でしたが、現地に行って状況を見ないと何も始まりません。

横手市の災害ボランティアセンターに電話と活動の予約し行ってまいりました。

*平成29年8月1日で秋田県横手市の災害ボランティア募集は終了しました
*平成29年8月5日現在、秋田県内で災害ボランティア募集をしている地域は秋田県大仙市のみです。横手市からも近い地域です。

http://daisen-syakyo.net/

状況…

国道、県道のような大通りからは被害状況が見えず、生活道に入ると様相一変。水害を受けた地域特有の風景に成る。

当時のホームページでは募集期間は7月いっぱい。かつ、秋田県内在住か就業、就学してる人に限定してましたが「仙台在住で災害ボランティア経験有り」の旨を事前に電話して申し込んだ際に特に拒まれる様子は有りませんでした。ボランティアニーズと募集人数次第ではホームページでの要項の限りでは無さそうです。

平日であることと、災害ボランティアセンターが立ち上がり間もない事もあり集合した人数は20名に満たない程度。

今回の活動は水没した家財の運び出しがメインでした。

派遣されたお宅は床上浸水の被害を被り、多くの家電と家財が水に浸ってしまいました。その中で90kgほどあるドラム式洗濯機、納戸内に有った家財の運び出しを手伝わせていただきました。

ボランティアニーズ増の見込みに対して社会福祉協議会の募集状況は少々心配でしたが、一定の活動を終えたようで横手市のセンターは8月1日で閉鎖となったようです。


横手市はボランティア募集が終わりましたが大仙市ではボランティアが不足しているということです。仙台からは車で二時間半〜3時間くらいの距離です。お時間とやる気の有る方ぜひご協力お願いします。

http://daisen-syakyo.net/






  

Posted by 梅田尚=梅さん at 12:30Comments(0)ボランティア活動情報

2017年08月05日

常磐線を使って仙台駅〜原ノ町駅を往復してみた



東日本大震災の後に被災し不通となっていた常磐線浜吉田駅から相馬駅が平成28年12月に復旧・開通してから半年以上経った平成29年7月20日

常磐線が再開たいした日に仙台駅〜山下駅までは乗車してみたのですが、山下駅以南は行ったことが有りませんでした。

ちょうど時間が空いた時期が有り、せっかくの機会なので開通後の常磐線山下駅以南から原ノ町駅まで行ってみることにしました。

当時の私の知識では仙台駅始発の常磐線は原ノ町駅で終わり、その先は福島第一原発事故のせいで不通と思っていたのですが、7月12日に原ノ町駅から以南の小高駅まで別ダイヤにて開通しておりました。

当日の時間の関係上で小高までは行けませんでしたが、今年中に小高まで行ってみたいものです。
*記載されている情報や写真は平成29年7月20日のもの

さて、仙台駅から浜吉田駅までは震災後も同じ路線、同じ駅を使用しているため目に入る風景は以前のものと変わりありません。浜吉田駅から山下駅に向かい始めると列車がどんどん内陸に向かい始めます。以前の山下駅から新地をご存知方にはかなり異質に感じる瞬間です。

新しい山下駅の様子は以前のブログにも記載しております。
http://fightmiyagi.da-te.jp/e979538.html

山下駅に着くと何となく降りなければならない気分になります。しかし、今回は山下駅以南に行くことが目的のため、降りなきゃ・・・と言う衝動を抑え次の駅へ向かいます。


山下駅から坂元駅へ


まず、気付いたのは「トンネル」を通過したことです。この路線、以前は海づたいの平地を走っていたため山や丘の無い路線でした。

*写真は坂元駅に到着した車内から震災前の坂元駅のあった辺りを撮影しております。



以前は写真中央に見える道路沿いに商店と家が並んでおり、その道の最後が坂元駅でした。今、街は新しくできた坂元駅から更に西側に新市街地を作っております。


坂元駅から新地駅へ

坂元駅は宮城県から新地駅は福島県の駅です。以前、山元町に住んでいたブログの筆者が電車で帰宅する際に寝過ごして慌てて降りる駅といえば新地駅でした。

新地駅付近は特に津波の勢いが強く、沿岸に沿っていた県道・線路もろとも破壊して行ってしまいました。よって以前新地駅があった付近は道路の復旧も途中という状態です。

*写真は新地駅に向かう途中の車内で海側に沿って走る以前の県道の復旧工事風景。嵩上げを行っている様子が伺えます。これは、海岸に沿って建設した巨大堤防と合わせて道路も嵩上げし2線堤防とすると言う構想から作られている道路です。




新地駅から駒ヶ嶺駅へ

駒ヶ嶺駅から以前のままの状態でした。駅舎の古さ何だかほっとします。



新地駅から駒ヶ嶺駅に向かう途中、沿岸から内陸に向かって伸びる新しい道路が数本建設途中でした。


目的地の原ノ町駅




訪れた日は7月20日、翌週は伝統行事である相馬野馬追のため、街の至る所に旗、旗、旗・・・



相馬以南から原ノ町駅までの様子。



相馬市の南隣りは南相馬市です。全国ニュースでたまに報道される地域です。

特に東京都以南からは原発事故と放射線のイメージの多い地名・県名と思います。

ですが、今回、電車(私の場合は普段は自家用車でくることが多いです)で訪れた際には何の特別なものは見受けられませんでした。普通に小学生〜高校生たちが通学で使い、走行中の車内からは子供が元気に遊ぶ普通の夏の風景が広がります。

震災後からいつも感じる被災した地域の中と外の情報の違い、と言うか違和感・不整合。震災前は名前すら知られなかった地名や町名が今や悪いイメージで使われることもしばしばあります。

高速道路、常磐線の開通により各地からのアクセスが容易になってきました。できるだけ現地を訪れて楽しんで、いつも通りの日常を送っている福島県、宮城県を見てもらいたいものです。

  

Posted by 梅田尚=梅さん at 16:28Comments(0)その他活動情報

2017年03月28日

常磐線復旧 山下駅

昨年の平成28年12月10日

常磐線の浜吉田~山下~坂元~新地~駒ヶ嶺~相馬が開通しました。

新しい駅を見に行くため家族で常磐線に乗ってきました。

降り立った途端に一気に涙が込み上げてしまい、不覚にも駅ホームで泣いてしまいました。

100%嬉し泣きという訳では無く嬉しい半分、色々半分の泣きです(T-T)

東日本大震災の大津波で破壊された常磐線の各路線の在り方について

2011年~12年までは内陸移転で路線新設か、現行路線の復旧かで町内の意見が真っ二つに分かれました。

東日本大震災で町の平野部の約半分を津波に襲われましたが、人命は元より家屋等の物理的な破壊、更に加えて集落や人間関係、人生まで悪影響を及ぼして行きました。

その当時に居た町の人々の葛藤や対立、長い間生活が戻らなかった町の半分側、夜になると生活の灯りが乏しく真っ暗になる町の半分側を見ていた時には、山元町と都市を繋ぐ鉄道の復旧に敢えて時間をかける意味など有るのか?と私個人としては疑問でした。

仙台~浜吉田駅までは今まで通り良く知っている風景でしたが、その後、山下駅に向かうにつれ段々と慣れない風景が車窓に映ると当時の色々な記憶が頭に浮かんできました。

山下駅に降り立ち見回すと駅前は随分と賑やかでした。新しい駅は正しく地域復興のシンボルに相応しい状況です。

それに隠れてしまっている新しい町の更に東側…つまり海側の…以前の山下~坂元~新地側には復興にはほど遠い環境が残っております。

どうか常磐線の路線再開と一緒に、この現状も合わせてご記憶頂き、この後の我らが故郷の再建を見守ってください。

山元町にお住まいの皆様、これから戻ろう、住もうという皆様、更に縁の有る皆様に今より更に良い!山元町に成るよう祈念申し上げます。










  

Posted by 梅田尚=梅さん at 12:00Comments(0)山元町で見て聴いた情報