2018年07月20日
7月16日の記事
山元町内の県道38号線(海側の通り)に沿って田畑が並ぶ…。一見地味ですが七年間被災家屋→解体した家屋の山→荒れ地しか見ていなかった地域だった為、かなり驚きました。
おそらく、遅れに遅れた海に祖ってはしる県道38号線周辺の大規模農地化の一環かとおもいます。
時間が経ちすぎ、そこに住みたいといった意見も黙殺された経緯のある遅すぎた農地化です。
畑から住まいも遠く切り離され、若い担い手も町を離れ、時間が経ちすぎた為これを推進した町長すらこの計画が成就する(予定)の頃に町政に携わっているか微妙な遅れたスタートです。
おそらく、遅れに遅れた海に祖ってはしる県道38号線周辺の大規模農地化の一環かとおもいます。
時間が経ちすぎ、そこに住みたいといった意見も黙殺された経緯のある遅すぎた農地化です。
畑から住まいも遠く切り離され、若い担い手も町を離れ、時間が経ちすぎた為これを推進した町長すらこの計画が成就する(予定)の頃に町政に携わっているか微妙な遅れたスタートです。
2018年07月18日
山元町と新地町の間をはしる県道38号線と新地町の様子2018年6月版
2018年6月17日
海側を通る山元町磯浜から福島県新地町に至る県道38号線。
東日本大震災の津波で福島県側の道路が文字通り寸断しておりましたが、道路の一部が復旧しておりました。
10分も走らず通行止めになり国道6号線側に行っちゃいますが、県道から見える相馬港の感じが懐かしかったです。
こちらか2018年6月時点の終点
新しい新地駅と周辺
新しい新地駅は小高い盛り土をした場所に建てられておりました。周辺はこれから新しい建物が建つような準備をしておりました。
海側を通る山元町磯浜から福島県新地町に至る県道38号線。
東日本大震災の津波で福島県側の道路が文字通り寸断しておりましたが、道路の一部が復旧しておりました。
10分も走らず通行止めになり国道6号線側に行っちゃいますが、県道から見える相馬港の感じが懐かしかったです。
こちらか2018年6月時点の終点
新しい新地駅と周辺
新しい新地駅は小高い盛り土をした場所に建てられておりました。周辺はこれから新しい建物が建つような準備をしておりました。
2018年07月16日
2018年3月11日
非常に遅ればせながら2018年3月11日の写真を投稿します。(本ブログの投稿日:2018年7月16日)
2018年の3月11日の写真
自身にとっては時間の流れを感じる写真になりました。東日本大震災が起きてから2012年以後の3月11日は追悼のための日でした。もちろん今年の3月11日も同じつもりです。
今年の追悼の会場には息子と同年代の子供達も同席しておりました。当然長い時間辛抱することはできず、15分くらいで退席しました。
海の真ん前に在るお寺で、追悼式典において震災の後に生まれた子供達と平和に過ごすという、時の流れを感じる日となりました。
写真中の彼らが遊んでいる部屋はつい5~6年前に、追悼の読経をなさっている住職さんや宮城県内外から来たボランティアメンバー達が晴天時には汗を拭き、寒空の時には身を震わせ再生した部屋でもあります。今は暖かく風も吹き込まず子供達を守ってくれています。
ここ数年、震災の後に親となった私にとって3月11日は故郷の再生と子供達の成長を実感する節目になりました。
来年はもう少し大人になった子供達と「最後まで」追悼ができることを願いつつ一年を過ごしたいと思います。
2018年の3月11日の写真
自身にとっては時間の流れを感じる写真になりました。東日本大震災が起きてから2012年以後の3月11日は追悼のための日でした。もちろん今年の3月11日も同じつもりです。
今年の追悼の会場には息子と同年代の子供達も同席しておりました。当然長い時間辛抱することはできず、15分くらいで退席しました。
海の真ん前に在るお寺で、追悼式典において震災の後に生まれた子供達と平和に過ごすという、時の流れを感じる日となりました。
写真中の彼らが遊んでいる部屋はつい5~6年前に、追悼の読経をなさっている住職さんや宮城県内外から来たボランティアメンバー達が晴天時には汗を拭き、寒空の時には身を震わせ再生した部屋でもあります。今は暖かく風も吹き込まず子供達を守ってくれています。
ここ数年、震災の後に親となった私にとって3月11日は故郷の再生と子供達の成長を実感する節目になりました。
来年はもう少し大人になった子供達と「最後まで」追悼ができることを願いつつ一年を過ごしたいと思います。
2017年12月10日
若林シーサイドマラソン
復興祈願 第2回 心をつなぐ若林シーサイドマラソン
https://www.mspo.jp/wakabayashi_srm/
10kmの部に出場し無事に完走しました。
仙台沿岸の状況を見るには非常に良い機会でした。高い堤防の後ろにコースにもなった2線堤防。堤防の間には立ち枯れした木が横たわってます。海を間近にしながら海は見えず。かつて在った干潟も見当たらず。
住民、国政、自治体、企業それぞれが口にする【復興】というキーワードが同じ方向を向くことは滅多に無いということをこのマラソン大会を通じ久し振りに思い出しました。人の営みを排除した地域はそこだけ壊死して廃れていきます。
個々の思いは置いておいて、東日本大震災による被災の現在を走りを通して間近に見る切っ掛けになりました。
2017年11月22日
山元町ふれあい産業祭2017年
山元町ふれあい産業祭2017年
毎年訪れている地元のお祭り。
今年は工事の兼ね合いも有って会場の面積も減り少々寂しげでした。
例年の大人気アトラクション「高所作業車で町内一望」も無く息子も残念がってます。
飲食ブースのレベルはいつもの通り良かったのが幸いでした。
当日は今期一番と評された低気圧の影響で寒い&強風でした(T_T)
来年は元の会場でやって欲しいな…。
黄色いハンカチを渡している画像について
毎年愛知から有志を募り黄色いハンカチを頂いている団体さんからお預かりし、岩佐議員にお渡ししました。